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【弦楽四重奏&ハルモニウム】 慰霊曲

【弦楽四重奏&ハルモニウム】 慰霊曲

KYC-022
2,200(税込)

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  • 【弦楽四重奏&ハルモニウム】 慰霊曲

作曲:山田耕筰  


・内容:スコア・パート譜一式
・発売日:2024年6月9日

編成


Violin 1,2
Viola
Violoncello

Harmonium

解説


 本作は、山田耕筰の叔父にあたる、医師にして牧師でもあった大塚正心の死を偲んで、1925年1月に作曲された。
 大塚正心の妻かねは、山田の母、久の妹であり、大塚正心、かね夫妻は、アメリカの女性宣教師ケート・ヤングマンが1894年に設立した「慰廃園」というハンセン病の療養所の監督官、監督補として、医療とキリスト教の伝道に尽くした。息子の大塚淳は、東京音楽学校のヴァイオリン科を卒業し、従兄弟の山田の推薦でのちに満州国に渡り、現地での音楽学校の設立や新京交響楽団の育成に尽力した。
 本作のbとfにおいて、讃美歌320番の「主よ御許に近づかん(Nearer, My God, to Thee)」が用いられているが、これは大塚正心が好んでいた讃美歌であったという。ちなみにこの讃美歌は、タイタニック号が沈没する際に、乗船していた楽団が沈みゆく船上で演奏していたことでも有名であり、TVアニメ「フランダースの犬」や「赤毛のアン」にも使用されている。
 山田耕筰は純粋な弦楽四重奏曲を留学前の習作期にしか手がけておらず、それも第2番以外は未完であったり、一部が散逸していたりで、充実した作品が残されているわけではない。しかし、本作や、1919年に同じ編成で書かれた「タンタジールの死」(KYC-021)を見る限り、弦楽四重奏という編成の扱いに苦手意識があったようには思えない。どちらも充実した作品であり、ハルモニウムで響きの支えがあるとはいえ、弦楽四重奏ならではの響きの扱いは見事である。この頃になると、交響曲やピアノ曲をほとんどてがけなくなったように、単に純粋器楽曲として弦楽四重奏曲を書く機会がなかっただけのことであろう。そうなると、本作はこの時代の山田の作風を濃厚に湛えた弦楽作品として非常に貴重なのだが、ここでハルモニウムの存在が問題になるかと思う。
 ハルモニウム、いわゆる足踏みオルガンは明治時代にアメリカ経由で日本に導入され、安価であり構造もシンプルであることから、学校や劇場などに早くから普及した鍵盤楽器である。筆者が小学生であった頃も各教室に1台足踏みオルガンがあり、音楽の授業では先生がこれを弾きながら歌ったものであった。鍵盤のアクションはピアノには及ばないものの、足で踏むふいごを踏む速度などによって、クレッシェンドもできるすぐれものでもあった。
 しかし現在の小学校では電子キーボードにとって代わられてしまっており、巷で見かけることがほとんどなくなってしまった。しかしこの「慰霊曲」を演奏するにあたって、必ずしもハルモニウムでなければならないということではないように思う。山田も劇場や教会などで身近にあったからこそこの楽器を用いたのであり(当時はピアノよりも普及率が高かった)、現代においては電子キーボードや、電子オルガンなどでの代用も十分可能であろう。

作曲:山田耕筰  


・内容:スコア・パート譜一式
・発売日:2024年6月9日

編成


Violin 1,2
Viola
Violoncello

Harmonium

解説


 本作は、山田耕筰の叔父にあたる、医師にして牧師でもあった大塚正心の死を偲んで、1925年1月に作曲された。
 大塚正心の妻かねは、山田の母、久の妹であり、大塚正心、かね夫妻は、アメリカの女性宣教師ケート・ヤングマンが1894年に設立した「慰廃園」というハンセン病の療養所の監督官、監督補として、医療とキリスト教の伝道に尽くした。息子の大塚淳は、東京音楽学校のヴァイオリン科を卒業し、従兄弟の山田の推薦でのちに満州国に渡り、現地での音楽学校の設立や新京交響楽団の育成に尽力した。
 本作のbとfにおいて、讃美歌320番の「主よ御許に近づかん(Nearer, My God, to Thee)」が用いられているが、これは大塚正心が好んでいた讃美歌であったという。ちなみにこの讃美歌は、タイタニック号が沈没する際に、乗船していた楽団が沈みゆく船上で演奏していたことでも有名であり、TVアニメ「フランダースの犬」や「赤毛のアン」にも使用されている。
 山田耕筰は純粋な弦楽四重奏曲を留学前の習作期にしか手がけておらず、それも第2番以外は未完であったり、一部が散逸していたりで、充実した作品が残されているわけではない。しかし、本作や、1919年に同じ編成で書かれた「タンタジールの死」(KYC-021)を見る限り、弦楽四重奏という編成の扱いに苦手意識があったようには思えない。どちらも充実した作品であり、ハルモニウムで響きの支えがあるとはいえ、弦楽四重奏ならではの響きの扱いは見事である。この頃になると、交響曲やピアノ曲をほとんどてがけなくなったように、単に純粋器楽曲として弦楽四重奏曲を書く機会がなかっただけのことであろう。そうなると、本作はこの時代の山田の作風を濃厚に湛えた弦楽作品として非常に貴重なのだが、ここでハルモニウムの存在が問題になるかと思う。
 ハルモニウム、いわゆる足踏みオルガンは明治時代にアメリカ経由で日本に導入され、安価であり構造もシンプルであることから、学校や劇場などに早くから普及した鍵盤楽器である。筆者が小学生であった頃も各教室に1台足踏みオルガンがあり、音楽の授業では先生がこれを弾きながら歌ったものであった。鍵盤のアクションはピアノには及ばないものの、足で踏むふいごを踏む速度などによって、クレッシェンドもできるすぐれものでもあった。
 しかし現在の小学校では電子キーボードにとって代わられてしまっており、巷で見かけることがほとんどなくなってしまった。しかしこの「慰霊曲」を演奏するにあたって、必ずしもハルモニウムでなければならないということではないように思う。山田も劇場や教会などで身近にあったからこそこの楽器を用いたのであり(当時はピアノよりも普及率が高かった)、現代においては電子キーボードや、電子オルガンなどでの代用も十分可能であろう。