作曲:山田耕筰
・内容:ピアノピース
・発売日:2024年4月28日
収録曲&解説
「My True Heart」
1917年に山田自身が作成した作品目録に作品1(ただし?付き)で登場する作品で、1902年頃に書かれた4声からなる合唱曲とされるが、歌詞はなく、鍵盤曲としても成立可能な作品である。この年山田は岡山にいた姉、恒と夫のエドワード・ガントレット夫妻のもとにひきとられ、ガントレットから音楽の手ほどきを受けている。本作から作曲家山田耕筰が始まったといっても過言ではないだろう。
「New Year’s Eve」
1903年、山田が17歳の頃に書いた作品で、おそらく鍵盤曲としては最初のものであろう。未だ西洋音楽の模倣の域を出てはいないものの、伴奏の付け方や旋律の自然な流れなどはよくできており、古典派の某作曲家の作品だと紹介しても違和感のない作品である。
「Gavotte(ガヴォット)」
1907年12月1日作曲。東京音楽学校声楽科3年の頃に書かれた作品。当時の東京音楽学校には作曲科はなく、独学で試行錯誤を重ねる日々の中で成立したものと思われるが、さすがに前作とは比較にならないほどの完成度を有している。『ルナに』や『負い目』というヴァイオリン作品を書いたのもこの頃である。
「A Longing(憧憬の曲) 」
1908年7月14日作曲。作風は未だ古典派の途上というところであり、シューベルト風のピアノ書法による変奏曲であるが、先達の書法をよく研究した成果が現れている。ちなみにこの頃山田は多久寅などとカルテットを組んでおり、3つの弦楽四重奏曲もこの頃に書かれているが、これらのうち第3番とされるハ短調の作品にもシューベルトの影響を見ることができる。
「Lied ohne Worte(無言歌)」
作曲時期は不明であるが、おそらく1909年に成立したものと思われる。「無言歌」といえばメンデルスゾーンを思い浮かべるが、書法的にはシューベルトに近く、旋律の美しさは特質に値する。自ら試行錯誤しながら作曲を学んでいた山田は、自身の作品とともに音楽史を辿っていたように見える。本作を書いた頃の山田は古典派期を脱し、ロマン派書法の習得期に達したのかもしれない。このような苦心惨憺の末に、山田は1914年の『彼と彼女』でようやく山田耕筰自身を“発見”するのである。
「Benediction(感謝の祈り)」
1909年10月24日作曲。自身もキリスト教徒であり幼少期から教会音楽に親しんでいた山田は、コラール風の書法を鍵盤作品などに持ち込むことがあるが、処女作『My true Heart』や本作もそうしたコラール風作品としてまとめられている。本作はわずか19小節の短い作品ではあるが、これまでの作品と比較して、対位法の処理などに格段の進歩が確認できる。
作曲:山田耕筰
・内容:ピアノピース
・発売日:2024年4月28日
収録曲&解説
「My True Heart」
1917年に山田自身が作成した作品目録に作品1(ただし?付き)で登場する作品で、1902年頃に書かれた4声からなる合唱曲とされるが、歌詞はなく、鍵盤曲としても成立可能な作品である。この年山田は岡山にいた姉、恒と夫のエドワード・ガントレット夫妻のもとにひきとられ、ガントレットから音楽の手ほどきを受けている。本作から作曲家山田耕筰が始まったといっても過言ではないだろう。
「New Year’s Eve」
1903年、山田が17歳の頃に書いた作品で、おそらく鍵盤曲としては最初のものであろう。未だ西洋音楽の模倣の域を出てはいないものの、伴奏の付け方や旋律の自然な流れなどはよくできており、古典派の某作曲家の作品だと紹介しても違和感のない作品である。
「Gavotte(ガヴォット)」
1907年12月1日作曲。東京音楽学校声楽科3年の頃に書かれた作品。当時の東京音楽学校には作曲科はなく、独学で試行錯誤を重ねる日々の中で成立したものと思われるが、さすがに前作とは比較にならないほどの完成度を有している。『ルナに』や『負い目』というヴァイオリン作品を書いたのもこの頃である。
「A Longing(憧憬の曲) 」
1908年7月14日作曲。作風は未だ古典派の途上というところであり、シューベルト風のピアノ書法による変奏曲であるが、先達の書法をよく研究した成果が現れている。ちなみにこの頃山田は多久寅などとカルテットを組んでおり、3つの弦楽四重奏曲もこの頃に書かれているが、これらのうち第3番とされるハ短調の作品にもシューベルトの影響を見ることができる。
「Lied ohne Worte(無言歌)」
作曲時期は不明であるが、おそらく1909年に成立したものと思われる。「無言歌」といえばメンデルスゾーンを思い浮かべるが、書法的にはシューベルトに近く、旋律の美しさは特質に値する。自ら試行錯誤しながら作曲を学んでいた山田は、自身の作品とともに音楽史を辿っていたように見える。本作を書いた頃の山田は古典派期を脱し、ロマン派書法の習得期に達したのかもしれない。このような苦心惨憺の末に、山田は1914年の『彼と彼女』でようやく山田耕筰自身を“発見”するのである。
「Benediction(感謝の祈り)」
1909年10月24日作曲。自身もキリスト教徒であり幼少期から教会音楽に親しんでいた山田は、コラール風の書法を鍵盤作品などに持ち込むことがあるが、処女作『My true Heart』や本作もそうしたコラール風作品としてまとめられている。本作はわずか19小節の短い作品ではあるが、これまでの作品と比較して、対位法の処理などに格段の進歩が確認できる。