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澄月集

澄月集

KYS-017
770(税込)

数量

作曲:山田耕筰
作詩:山野井博史


・内容:独唱ピース(ピアノ伴奏付き)
 

解説


 寺崎悦子の詠んだ短歌による歌曲集であり、これまでのドイツ・リート風の山田歌曲とは明らかに一線を画する作風を持つ。
 作詩者の寺崎悦子は、著名な林学者林寺崎渡の妻であり、山田とは家族ぐるみの付き合いをしていた。古典文学に精通していたという悦子のことを山田は“Frau Doktor(女史)”と呼び、とりわけ親しくしていたという。当初は山田にピアノのレッスンに通っていた悦子と付き合ううちに、当時創作の中心においていたピアノ小品は彼女の影響からか次第に詩情を湛えた作風に変わり、ピアノ曲に短詩を添えたものまで作られるようになる。さらに、山田は悦子からの示唆を受けて、琴をを加えた管弦楽のための組曲「源氏楽帖」(最終的にはピアノ版として全7曲を完成)を書き上げて彼女に捧げ、彼女の詩をテキストにした歌曲集の筆を執る。これほど山田の創作に深い影響を与えた女性は、後にも先にも彼女以外には現れなかった。

 完成された「澄月集」は、ピアノ小品の創作などで培われた陰影のある書法が詩の世界観を的確に捉え、さらに寺崎のテキストにみられる古風な短歌的発想を十分に反映すべく、日本の伝統音楽の語法を大々的に取り入れている。山田はこれまでにも ペンタトニック(ヨナ抜き音階)を効果的に用いた作品をいくつも手がけているが、本作においては、例えば第1曲~第3曲には都筑音階を使用し、さらにメリスマ的な音型をフレーズの後半に用いる“追分様式”を取り込むなど、伝統音楽との融合をさらに一歩押し進める。こうした試みは、次の「幽韻」において一層突き詰められることになる。
 初演は渡米の2日前の歓送会において行われ、1919年にニューヨークのG.シャーマー社からは英訳の詩が付けられて「A cycle of five Japanese Love - songs」というタイトルで出版された。

作曲:山田耕筰
作詩:寺崎悦子
 


・内容:独唱ピース(ピアノ伴奏付き)

解説


 寺崎悦子の詠んだ短歌による歌曲集であり、これまでのドイツ・リート風の山田歌曲とは明らかに一線を画する作風を持つ。
 作詩者の寺崎悦子は、著名な林学者林寺崎渡の妻であり、山田とは家族ぐるみの付き合いをしていた。古典文学に精通していたという悦子のことを山田は“Frau Doktor(女史)”と呼び、とりわけ親しくしていたという。 当初は山田にピアノのレッスンに通っていた悦子と付き合ううちに、当時創作の中心においていたピアノ小品は彼女の影響からか次第に詩情を湛えた作風に変わり、ピアノ曲に短詩を添えたものまで作られるようになる。 さらに、山田は悦子からの示唆を受けて、琴をを加えた管弦楽のための組曲「源氏楽帖」(最終的にはピアノ版として全7曲を完成)を書き上げて彼女に捧げ、彼女の詩をテキストにした歌曲集の筆を執る。 これほど山田の創作に深い影響を与えた女性は、後にも先にも彼女以外には現れなかった。

 完成された「澄月集」は、ピアノ小品の創作などで培われた陰影のある書法が詩の世界観を的確に捉え、さらに寺崎のテキストにみられる古風な短歌的発想を十分に反映すべく、日本の伝統音楽の語法を大々的に取り入れている。 山田はこれまでにも ペンタトニック(ヨナ抜き音階)を効果的に用いた作品をいくつも手がけているが、本作においては、例えば第1曲~第3曲には都筑音階を使用し、さらにメリスマ的な音型をフレーズの後半に用いる“追分様式”を取り込むなど、伝統音楽との融合をさらに一歩押し進める。こうした試みは、次の「幽韻」において一層突き詰められることになる。
 初演は渡米の2日前の歓送会において行われ、1919年にニューヨークのG.シャーマー社からは英訳の詩が付けられて「A cycle of five Japanese Love - songs」というタイトルで出版された。