東京ハッスルコピー オンラインストア

歌劇《黒船》より「情景」ヴォーカル・スコア

歌劇《黒船》より「情景」ヴォーカル・スコア

KYS-016
1,320(税込)

数量

作曲:山田耕筰


・内容:ヴォーカルスコア
 

解説


 日本文化に通じていたアメリカのジャーナリスト、パーシー・ノーエルによってもたらされた、 シカゴ歌劇場からの新作オペラの委嘱を受けて着想された歌劇「黒船」は、 当初「お吉、または黒船~A lyric Romance」というタイトルであった。台本はノーエルによる英語版。 ちなみにノーエルはオペラ・バレエ「あやめ」の台本も書いている。
 山田はアメリカの劇場で上演するに当たって、日本の文化、風俗を紹介する序章を第一幕の前に置くことを考え、 まず完成されたのがこの序景である。 山田自身は“可視的序曲”などとも呼んでいた。 「箱根八里は」のメロディーを引用した、大変印象的な導入から始まり、 「盆踊り」のシーンや芸者屋の風景、虚無僧(吉田)の登場など、様々な場面を取り込み、 卓越したオーケストレーションによって鮮やかに描き出している。
 1929年、スコアが完成するとすぐに写真版(ファクシミリ)が作成され、シカゴに送られた。 この写真版の作成には当時の値段で千円ほど(すごい大金らしい)かかったようだが、 筆写譜ではマチガイだらけでそれを訂正する方により時間がかかってしまうので仕方がないとコボしている山田自身のエッセイが残っている。
 ところが、シカゴ歌劇場での上演計画は途中で頓挫してしまう。 ノーエルは計画を持ってアメリカ中を行脚したともいうが、現在に至るまで上演には至っていない。

 山田はこのあとパリのオペラ座からの委嘱を受けて渡欧、一幕のオペラ・バレエ「あやめ」を現地で完成させ、 上演を待つばかりとなっていたが、これも資金難で頓挫、リハーサルまで進んでいたにもかかわらず上演は中止となった。
 失意の山田は、指揮者近衛秀麿の取り計らいもあって、ロシアで演奏旅行をしながらの帰国となったのだが、 この演奏旅行で「序景」が演奏会形式で初演された。 このときの上演形態は合唱を伴わないため、オーケストレーションに若干の変更を施し、 金管などに合唱を補足するパートを追加しているほか、ソロ・ヴォーカルにはサックスを当てている(後半のお吉のアリアはカットされた)。 1931年にパリで作成されたパート譜には合唱を補足する改訂がすでに存在しており(パート譜の完成後、さらに作曲者自身の筆跡で補足がされている)、 合唱を補強する目的があった可能性も捨てきれないが、 合唱がなくても上演できる形態にすることにより、演奏の可能性を少しでも増やす意図があったことはほぼ確実であろう。 なお、このパート譜では161小節目の三味線によるカデンツァと292小節~397小節までの、約100小節が欠落しているが、 これはおそらく山田耕筰自身によるカットの指示と思われる。
 「黒船」はのちに「夜明け」と改題され、1940年に上演されることとなったが、このときには序景は上演されなかった(演奏会形式での序景の上演は記録あり)。 1986年に東京文化会館における上演(日本楽劇協会主催/指揮:森正)の際に冒頭の盆踊りのシーンを中心に約8分にまとめて上演されたのが、 山田の意図した“可視的序曲”として上演された最初であろう。 ノーカット完全版として上演されたのは2008年の新国立劇場による上演。 実に作曲から79年後(!)であった。

 四散した自筆譜が多い山田作品にしては珍しく「序景」は自筆総譜が完全な形で残されている。 さらに前記の写真版の総譜も残っているが、最初に作成された写真版の総譜では英語のみの歌詞であるのが、 自筆のオリジナルでは英語詞の下に日本語詞が書き込まれた状態になっている。 山田は日本でも可視的序曲としての上演を企図していたのであろう。 校訂に際してはこの二種類の総譜、ヴォーカルスコア、パート譜(パリ版、日本版)を参照して行われた。

作曲:山田耕筰


・内容:ヴォーカルスコア

解説


 日本文化に通じていたアメリカのジャーナリスト、パーシー・ノーエルによってもたらされた、 シカゴ歌劇場からの新作オペラの委嘱を受けて着想された歌劇「黒船」は、 当初「お吉、または黒船~A lyric Romance」というタイトルであった。台本はノーエルによる英語版。 ちなみにノーエルはオペラ・バレエ「あやめ」の台本も書いている。
 山田はアメリカの劇場で上演するに当たって、日本の文化、風俗を紹介する序章を第一幕の前に置くことを考え、 まず完成されたのがこの序景である。 山田自身は“可視的序曲”などとも呼んでいた。 「箱根八里は」のメロディーを引用した、大変印象的な導入から始まり、 「盆踊り」のシーンや芸者屋の風景、虚無僧(吉田)の登場など、様々な場面を取り込み、 卓越したオーケストレーションによって鮮やかに描き出している。
 1929年、スコアが完成するとすぐに写真版(ファクシミリ)が作成され、シカゴに送られた。 この写真版の作成には当時の値段で千円ほど(すごい大金らしい)かかったようだが、 筆写譜ではマチガイだらけでそれを訂正する方により時間がかかってしまうので仕方がないとコボしている山田自身のエッセイが残っている。
 ところが、シカゴ歌劇場での上演計画は途中で頓挫してしまう。 ノーエルは計画を持ってアメリカ中を行脚したともいうが、現在に至るまで上演には至っていない。

 山田はこのあとパリのオペラ座からの委嘱を受けて渡欧、一幕のオペラ・バレエ「あやめ」を現地で完成させ、 上演を待つばかりとなっていたが、これも資金難で頓挫、リハーサルまで進んでいたにもかかわらず上演は中止となった。
 失意の山田は、指揮者近衛秀麿の取り計らいもあって、ロシアで演奏旅行をしながらの帰国となったのだが、 この演奏旅行で「序景」が演奏会形式で初演された。 このときの上演形態は合唱を伴わないため、オーケストレーションに若干の変更を施し、 金管などに合唱を補足するパートを追加しているほか、ソロ・ヴォーカルにはサックスを当てている(後半のお吉のアリアはカットされた)。 1931年にパリで作成されたパート譜には合唱を補足する改訂がすでに存在しており(パート譜の完成後、さらに作曲者自身の筆跡で補足がされている)、 合唱を補強する目的があった可能性も捨てきれないが、 合唱がなくても上演できる形態にすることにより、演奏の可能性を少しでも増やす意図があったことはほぼ確実であろう。 なお、このパート譜では161小節目の三味線によるカデンツァと292小節~397小節までの、約100小節が欠落しているが、 これはおそらく山田耕筰自身によるカットの指示と思われる。
 「黒船」はのちに「夜明け」と改題され、1940年に上演されることとなったが、このときには序景は上演されなかった(演奏会形式での序景の上演は記録あり)。 1986年に東京文化会館における上演(日本楽劇協会主催/指揮:森正)の際に冒頭の盆踊りのシーンを中心に約8分にまとめて上演されたのが、 山田の意図した“可視的序曲”として上演された最初であろう。 ノーカット完全版として上演されたのは2008年の新国立劇場による上演。 実に作曲から79年後(!)であった。

 四散した自筆譜が多い山田作品にしては珍しく「序景」は自筆総譜が完全な形で残されている。 さらに前記の写真版の総譜も残っているが、最初に作成された写真版の総譜では英語のみの歌詞であるのが、 自筆のオリジナルでは英語詞の下に日本語詞が書き込まれた状態になっている。 山田は日本でも可視的序曲としての上演を企図していたのであろう。 校訂に際してはこの二種類の総譜、ヴォーカルスコア、パート譜(パリ版、日本版)を参照して行われた。