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山田耕筰ピアノ作品全集補遺 日本組曲/狐の踊り/京の四季

山田耕筰ピアノ作品全集補遺 日本組曲/狐の踊り/京の四季

KYC-019
1,760(税込)

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  • 山田耕筰ピアノ作品全集補遺 日本組曲/狐の踊り/京の四季

作曲:山田耕筰  


・内容:ピアノピース
・発売日:2024年4月28日

収録曲&解説


「日本組曲」
 『日本組曲』と題された作品は、山田の他にも伊福部昭や貴志康一など多くの作曲家によって手がけられているが、山田の作品が1913年と最も成立が古い。当時ベルリン留学中であった山田が、ロシアの若い舞踊家ラザレヴィッチ男爵夫妻の頼みに応じで書かれたのが管弦楽版『日本組曲』であったが、山田は管弦楽作品を書く際にまずピアノ・スコアを書く習慣があり、ピアノ版については、管弦楽版のスケッチから成立したものと思われる。1924年にはヴァイオリンとピアノ版の『日本組曲』(KYC-006)も書かれたが、こちらも同内容である。
 楽曲は「さらし」「お江戸日本橋」「かっぽれ」の3曲から構成されているが、この中の「お江戸日本橋」は1931年作曲のオペラ・バレエ『あやめ』の中で序奏や和声を含めてほぼそのままの形で転用されている。1913年に構想した時点において、山田の中でのこれらの民謡の扱いはほぼ完成していたのであろう。


「Fox Dance(狐の踊り)」
 1918年、舞踊家伊藤道郎とともにアメリカで開催した舞踊公演のために、山田耕筰はいくつかの作品を手がけているが、その中で最も有名なのは、アイルランド出身の詩人イェイツの舞踊劇『鷹の井戸』のための音楽(KYS-019)であろう。この作品は能の影響を受けて書かれたもので、1916年のロンドンにおける初演では伊藤が鷹役を演じている(初演の音楽はエドマンド・デュラックが担当した)。山田の音楽による『鷹の井戸』は1918年7月2日にニューヨークで上演された。
 彼らが行った舞踊公演では、他にも山田の舞踊詩「青い焔」などを上演しているが、本作「Fox Dance(狐の踊り)」もそうした公演のために書かれた作品であり、「夜の月に見惚れた狐が踊りだし、最後には死に至るまで踊り続ける」という筋書きであった。
 伊藤は『惑星』で知られるイギリスの作曲家ホルストに『日本組曲』の作曲を依頼したことでも知られており、ホルストによる『日本組曲』は1915年に完成された。そしてその第6曲「狼の踊り」と、山田が手がけた「Fox Dance(狐の踊り)」は全く同じモチーフによっている。それゆえ本作は伊藤から提示されたモチーフに従って作曲されたものと推察される。


「京の四季」
 やはり1918年に、伊藤道郎との舞踊公演のために書かれた作品の1つであり、残された手稿譜には「Fan Dance(扇の踊り)」というタイトルが付されている。しかしながら、こちらは端唄「京の四季」の編曲であり、最終的にはオリジナル通りのタイトルに戻した上で、箏曲「鶴亀」や「千鳥の曲」とともに『Three Old Japanese Art Dances』としてニューヨークで出版された。

作曲:山田耕筰  


・内容:ピアノピース
・発売日:2024年4月28日

収録曲&解説


「日本組曲」
 『日本組曲』と題された作品は、山田の他にも伊福部昭や貴志康一など多くの作曲家によって手がけられているが、山田の作品が1913年と最も成立が古い。当時ベルリン留学中であった山田が、ロシアの若い舞踊家ラザレヴィッチ男爵夫妻の頼みに応じで書かれたのが管弦楽版『日本組曲』であったが、山田は管弦楽作品を書く際にまずピアノ・スコアを書く習慣があり、ピアノ版については、管弦楽版のスケッチから成立したものと思われる。1924年にはヴァイオリンとピアノ版の『日本組曲』(KYC-006)も書かれたが、こちらも同内容である。
 楽曲は「さらし」「お江戸日本橋」「かっぽれ」の3曲から構成されているが、この中の「お江戸日本橋」は1931年作曲のオペラ・バレエ『あやめ』の中で序奏や和声を含めてほぼそのままの形で転用されている。1913年に構想した時点において、山田の中でのこれらの民謡の扱いはほぼ完成していたのであろう。

「Fox Dance(狐の踊り)」
 1918年、舞踊家伊藤道郎とともにアメリカで開催した舞踊公演のために、山田耕筰はいくつかの作品を手がけているが、その中で最も有名なのは、アイルランド出身の詩人イェイツの舞踊劇『鷹の井戸』のための音楽(KYS-019)であろう。この作品は能の影響を受けて書かれたもので、1916年のロンドンにおける初演では伊藤が鷹役を演じている(初演の音楽はエドマンド・デュラックが担当した)。山田の音楽による『鷹の井戸』は1918年7月2日にニューヨークで上演された。
 彼らが行った舞踊公演では、他にも山田の舞踊詩「青い焔」などを上演しているが、本作「Fox Dance(狐の踊り)」もそうした公演のために書かれた作品であり、「夜の月に見惚れた狐が踊りだし、最後には死に至るまで踊り続ける」という筋書きであった。
 伊藤は『惑星』で知られるイギリスの作曲家ホルストに『日本組曲』の作曲を依頼したことでも知られており、ホルストによる『日本組曲』は1915年に完成された。そしてその第6曲「狼の踊り」と、山田が手がけた「Fox Dance(狐の踊り)」は全く同じモチーフによっている。それゆえ本作は伊藤から提示されたモチーフに従って作曲されたものと推察される。

「京の四季」
 やはり1918年に、伊藤道郎との舞踊公演のために書かれた作品の1つであり、残された手稿譜には「Fan Dance(扇の踊り)」というタイトルが付されている。しかしながら、こちらは端唄「京の四季」の編曲であり、最終的にはオリジナル通りのタイトルに戻した上で、箏曲「鶴亀」や「千鳥の曲」とともに『Three Old Japanese Art Dances』としてニューヨークで出版された。